大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成8年(オ)752号 判決

上告人

山口観光株式会社

右代表者代表取締役

山口隆一

右訴訟代理人弁護士

橋本二三夫

被上告人

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

川崎敏夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人橋本二三夫の上告理由について

所論は、被上告人の年齢詐称の事実を本件解雇の理由として主張することはできないとした原審の判断は、懲戒権の行使に関する法律解釈を誤るものであると主張する。しかしながら、使用者が労働者に対して行う懲戒は、労働者の企業秩序違反行為を理由として、一種の秩序罰を課するものであるから、具体的な懲戒の適否は、その理由とされた非違行為との関係において判断されるべきものである。したがって、懲戒当時に使用者が認識していなかった非違行為は、特段の事情のない限り、当該懲戒の理由とされたものでないことが明らかであるから、その存在をもって当該懲戒の有効性を根拠付けることはできないものというべきである。これを本件についてみるに、原審の適法に確定したところによれば、本件懲戒解雇は、被上告人が休暇を請求したことやその際の応接態度等を理由としてされたものであって、本件懲戒解雇当時、上告人において、被上告人の年齢詐称の事実を認識していなかったというのであるから、右年齢詐称をもって本件懲戒解雇の有効性を根拠付けることはできない。これと同旨の原審の前記判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。

所論のその余の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友)

上告代理人橋本二三夫の上告理由

一ないし三 〈省略〉

四 上告理由第四点(経歴詐称について)

(一) 原審が引用する一審判決は、被上告人が年齢を詐称(五七歳三月を四五歳三月と詐称)したことを理由とする懲戒解雇については、「企業秩序に違反する非違行為があったことを理由として、当該労働者に対し、一種の制裁罰を課する性質を有するものであり、その効力は、使用者が、懲戒解雇の理由とした労働者の当該行為について判断されるべきであ」り「懲戒解雇当時、被告(上告人)が認識していなかった別の非違行為があったとしても、右行為の存在を理由に懲戒解雇の正当性を基礎づけることは許されないと解すべきであ」り、本件においては、上告人が、被上告人の真実の年齢を知ったのは、本件解雇後であるから上告人(被告)の主張は採用できないと判断している。

しかし、右判断は、使用者の固有の権限たる懲戒権の行使に関する法律解釈を誤ったものであり、また、「労働者は、労働契約を締結して雇傭されることによって、使用者に対して労務提供義務を負うとともに、企業秩序を遵守すべき義務を負い、使用者は、広く企業秩序を維持し、もって企業の円滑な運営を図るために、その雇傭する労働者の企業秩序違反行為に対し、一種の制裁罰である懲戒を課することができる」とする最高裁判例(昭和五三年(オ)一一四四号、昭和五八年九月八日第一小法廷判決)にも違背する違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

使用者の労働者に対する懲戒権は、右最高裁判例にもあるように、労働契約を締結することによって使用者が、企業秩序を維持するため固有の権利として取得するものである。そしてその権利は、企業秩序を維持するために広く認められるものであるから、企業秩序違反行為を理由として課せられる一種の制裁罰であるとしても、その企業秩序違反行為が、客観的に存在するかぎりにおいて、解雇時に当該企業秩序違反を理由としなかったとしても、企業秩序の維持のためには懲戒解雇の効力が認められるべきであり、解雇時にその企業秩序違反を理由とした場合にのみその効力を認める理由はなく、当該企業秩序違反を解雇時においてその理由としなかったこと、または使用者が当該企業秩序違反を認識していなかったことをもって、本件懲戒解雇の効力が認められないとした原審の判断には、懲戒解雇権の効力に関する解釈を誤り、前記最高裁判所の判例に違背する違法がある。

そして、右違法がなければ、本件解雇は有効となるものであって、上告人は、賃金支払の義務を負うことがないのであるから、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(二) 一審判決を引用する原審は、被上告人の経歴(年齢)詐称を理由とする解雇は、上告人が、被上告人の休暇の請求及び応接態度に憤慨し、解雇理由にならない事由を解雇理由となるものと考えて解雇としたものであり、解雇権の濫用として許されないと、判断している。しかし右判断は、経験則、採証法則に違背して事実を認定した違法、及び、民法第一条三項の解釈、適用を誤った違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

なお、一審判決を引用する原審が、普通解雇であれば、解雇時において、使用者が認識していなかった事由であっても、客観的に存在していた事由は、解雇事由たり得ると判断したのは正当である(仙台地裁昭和五五年(ワ)第三七八号事件、昭和六〇年九月一九日判決)。

1 一審判決を引用する原審判断は、解雇権の濫用となる基礎事実として、上告人は、被上告人が、「夫」を通じて、権利行使と解することが可能である二日間の休暇を請求したことに憤慨して、被上告人を解雇したとの事実を認定している。

しかし、上告人が、被上告人に対し、解雇の意思表示をしたとしても、被上告人の応接態度や、休暇の請求に憤慨したものではなく、今までの度々の欠勤や長期に亙る欠勤、客からの被上告人に対する苦情があったことなどから、「働く気力も体力もない」と考えた結果である(乙第一〇号証)。

原審が、右事実を認定しなかったことは、三項(一)において主張したように、乙第一〇号証や上告人(一審被告)の尋問結果の中から、被上告人が「夫」を介して電話をしたという事実のみを認定し、その余の事実については、被上告人(一審原告)の尋問結果、甲第七号証、同第一一号証における供述等に添う事実を認定することによって、年齢詐称を理由とする本件解雇が、上告人の理由にならない「憤慨」に基づいてなされたものであるとするための、いわば「ためにする事実認定」であって、採証法則の適用を誤ったものである。また、乙第一〇号証、同第一一号証、上告人(一審被告)の尋問結果により被上告人が、「夫」を介して電話をかけたとの事実を認定するのであれば(被上告人の尋問結果、甲第七号証、同第一一号証では、被上告人は、自ら上告人代表者に電話したこととなっている)、本件解雇は、右電話での会話においてなされたものであるから、経験則上、採証法則上からも、解雇の動機については、乙第一〇号証、同第一一号証により、前記指摘のとおりの事実(解雇の動機―働く気力も体力もないと考えたこと等)を認定すべきである。

原審は、右のとおり経験則、採証法則の適用に違背して、解雇権の濫用となる基礎事実を認定した違法があり、上告人が指摘した前記事実によれば、後記のとおり、本件解雇は、普通解雇として有効となるものであって、上告人は、賃金支払義務を負わないものであるから、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

2 次に、一審判決を引用する原審判断は、右1記載の一審判決が認定をした事実を前提として、年齢詐称を理由とする解雇は、解雇権の濫用であり許されないとするが、右判断は、民法第一条三項の解釈を誤り、解雇権の濫用の法理の解釈、適用を誤った違法があり、右違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

右1で主張したように、上告人は、被上告人が、しばしば、また、長期に亙り欠勤したことや、マッサージ客からの苦情などが目立っていたことから、働く気力も体力もないと考えて、被上告人を解雇したのであり、原審が言うように、「法の是認し得ない使用者の意図に基づき、法の是認し得ない事由を解雇の理由としてなされたものと言わざるを得ず、右解雇は、普通解雇の解雇権の行使としても、著しく合理性を欠く」ものではなく、右は何ら解雇権の濫用となるものではない。

これを、解雇権の濫用として、解雇の効力を否定した原審の判断は、民法第一条三項の解釈、適用を誤った違法があることは明白である。

さらに、仮に、原審が認定するように、上告人が被上告人の応接態度や、二日間の休暇請求に憤慨したとしても、その背景には、原審も認定するように被上告人が五七歳三月の年齢を四五歳三月と偽り採用された結果、相当の体力を要するマッサージ業務に専念することが困難となり、しばしば欠勤し、また、長期に亙って欠勤するなどの状態が続き(いずれも無断欠勤であることは後記のとおり)、結局は、八月三一日には二日間の休暇を申し出るという事態に至った経緯が存在するのであって、本件解雇は、被上告人の年齢詐称等に起因し、被上告人自ら招いた結果である。

原審が認定するように、上告人が、被上告人の応接態度や二日間の休暇請求に憤慨したとしても、本件解雇に至った経緯については、上告人の責よりも被上告人の責のほうがはるかに大であると言わざるを得ず、本件解雇が、解雇権の濫用とはなり得ないことは明らかである。

右のような、事情において、年齢詐称による普通解雇を解雇権の濫用と判断した原審には、民法第一条三項、解雇権の濫用の法理の解釈、適用を誤った違法があり、本件解雇は有効であって、上告人は、賃金支払義務を負わないのであるから、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

五、六〈省略〉

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